読書録:池田遼太 (2026) 『戦艦「大和」最期の新証言』光文社

同じく光文社新書の 『山本五十六、 最期の15日間』 を著した、 池田遼太氏の新作。 前著同様に、緻密かつ重厚な戦史研究を背景としつつ、良い意味でそれを感じさせない読みやすさをもった、上質なノンフィクションである。

本書で明らかにされる 「新証言」は、著者が、師匠である原勝洋氏から引き継いだものだ。その内容は、どのようなものだったのか。 なぜ、これまで伏せられてきたのか。

戦後80年が経ち、戦争を語り継ぐことのむずかしさは、 よく指摘される。天一号作戦の悲劇は、戦艦大和の象徴性も相まって、これまで繰り返し語られ、広く知られてきた。が、そうであっても、これから先、なにもしなければ風化してしまう。

本書に登場する証言者たちは、当時の意思決定にかかわった元士官であり、したがって年齢も高い。原氏が1970年代に取材を行っていたおかげで、彼らの言葉が、今に伝わっている。そして、その原氏もまた、昨年亡くなられた。そんな時代に、新たな大和の物語が、新進気鋭の研究者によって活写される。その意義は非常に大きい。

冒頭でも述べたように、本書は読みやすい。この点がとくに素晴らしい。私は小学生以来の「大和ファン」であり、これまで、原氏の著作も多数読んできた。が、率直にいって、氏の著作は史料の羅列ばかりで、 読みにくかった。本書で挙げられている取材の成果のほか、米国公文書館から原氏が独自に発掘したものについて書かれているため、貴重かつ重要な情報であることに疑いはない。が、本の形でそれらに触れる読者のための、 平易な説明がされていたかは、あやしい。私などは、途中で文意がつかめなくなり、同じページを2、3度読み返すこともしばしばあった。

翻って、 本書は、 新書のレーベルから出されたノンフィクションだ。天一号作戦や、 旧海軍について事前の知識がない人でも読みやすいように書かれている。それでいて、「大和ファン」からしても、 新鮮な読みごたえを感じられるのだから、すごい。

この読みごたえは、本書が「なぜ、 大和は特攻しなければならなかったのか?」という問いに答えようとしているからこそ、生まれるものだ。

これまで、一般に広く知られてきた物語では、案外、 これに答えていないのではないか、と思う。たとえば、本書でも挙げられている映画 「男たちの大和/YAMATO」などは、(複数の実在する人物のエピソードを合成した) 架空の下士官、兵を中心としたストーリーで、「命令を受ける側」の悲劇性を描くことに終始している。彼らに命令した、日吉の連合艦隊司令部は1秒も登場せず、どうしてそのような悲劇が生じたのか、という考察はない。

わずかに、昭和天皇の戦争責任を示唆することが、 それに対応するのかもしれないが、そうであったとしても、旧海軍における、組織的な意思決定のプロセスをまったく無視していて、ずさんだ。

このように「命令をする側」の姿なき物語では、 特攻作戦が、 あたかも天災のような、避けがたい運命だったかのように見えてしまう。

もちろん、 特攻作戦は、 天災ではなく、 戦争の一部だ。 運命ではなく、命令に従って出撃し、米軍と戦って、 多くの人が傷つき、亡くなった。そして、その命令を出したのも人であり、 現代を生きる私たちの父祖である。本書のように「命令をする側」の子孫としても当事者意識を持ち、その論理にも迫ろうとするのが、真に誠実な姿勢ではないかと思う。

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