読書録:竹中亨(2018)『ヴィルヘルム2世 ドイツ帝国と命運を共にした「国民皇帝』中央公論新社

ドイツ第二帝国最後の皇帝、ヴィルヘルム2世の評伝を読んだ。世界史はまったくな私なので、お手軽そうな新書から手に取ったのだが、期待通り読みやすくて、ありがたい。

なぜ、ヴィルヘルム2世なのか。きっかけは『肢体不自由児の教育〔改訂新版〕』を読んだこと。「肢体不自由児の父」と呼ばれる高木憲次博士の業績と、肢体不自由児者を取り巻く歴史について、大学以来、久々に学んだ。

そこで気がついたのは、「クリュッペルハイム」など、高木博士が興した事業がドイツを先達としているということ。博士自身、1922年に渡独しているが、当時は第一次世界大戦が終わった、ワイマール共和国の時代である。

敗戦国であった当時のドイツに先進的なモデル・ケースがあったのか、疑問に思った。まずは共和国の成立に遡って、勉強してみようと思い最後の皇帝、ヴィリーに至った。という訳である。

さて、そんな私が、本書が読む前に彼に抱いていたイメージはといえば、良くはない。「英国への対抗心から海軍を軍拡し、大戦争を惹き起こした暗君」

こんな感じであった。

本書を読んでも、このようなある種の「残念さ」は拭えない。ただ、武威を誇るそのスタイルに、彼なりの理由があったのでは、と思いを馳せることができた。特に注目したのは、彼の左腕が不自由であったということ。筆者は、この障害が性格に与えた影響として、

「さらに重大な影響は、『男らしさ』を装う傾向である。身体面での弱点を精神的タフさの外被で隠そうとしたのである。」(40頁)

と述べている。小学校でいじめられ、教室の片隅で読んだ学習漫画に描かれた戦艦大和に憧れた私からすると、このような背景をもつ「艦隊皇帝」に親近感が湧いた。「クリュッペルハイム」(Krüppelheim) の"Krüppel” は「身体障害」という意味だが、侮蔑のニュアンスを含んでいるそうなので、皇帝である彼に対して用いられることは無かったかもしれない。高木博士は、「かたわ」とか「不具者」といったよろしくない言葉を払拭するために「肢体不自由」を提唱したわけだが、ドイツ語ではどうなのだろう。現代的な、「正しい」言葉遣いがあるのだろうか。語彙についても調べてみたい。

外交での度重なる舌禍も、「男らしさ」を装うため、と思うと納得がいく。強い国家像を頼りにし、大衆の人気を得ようと朝令暮改の思いつきで発言する様子は、どこかトランプ大統領を思わせる。ヴィルヘルム2世の生涯からは、古くて新しい問題を学べるのではないかと思った。