「How come? ー 共生社会コンファレンス レポート第二部」を読んで

*以下の文章中、カギカッコの箇所は、標記レポートより引用しました。また、一部で「聾」という表現を用いています。これには、手話に代表される、聴覚障害に特有の文化を強調し尊重する意図があります。差別的な目的ではないことを、あらかじめおことわりします。*

〈レポートへのリンク〉

https://note.com/lxcnagano/n/n85a1612cfb90

3月に参加した『Shall We? やったり、見てたり、いたり、ぬけたり。』(長野・上田)の舞台裏がレポートされていたので、読んでみた。

ここでも引用して頂いたように、私が本イベントに参加して感じたのは、参加者と出展者の境界があいまいで、展示を説明する側、とされる側、が明確に区別されていない場であったことだ。なぜ、このような状況が生まれたのか?レポートを読んで、腑に落ちたこと、考えたことが多々あったので、読後の感想を残しておきたい。

このレポートを読むと、開催にあたっては、『「共生社会」というテーマを問い直す』べく、「全体テーマである『共生社会』『障害者』という言葉をあえて前景化させない」という企画設計が為されていたことが分かる。私が抱いた印象は、的外れでもなかったらしい。

「共生社会」や「障害者」を「前景化させない」ことが、どうして『「共生社会」というテーマを問い直す』ことにつながるのか。

背景には、『「ニーズをあげる障害者などマイノリティ」と「それに応えるべき健常者たちマジョリティ」』という構図を前提とする、通例の「共生社会」像が、障害のある者が抱える「ニーズとして声をあげる以前の困難さ」を考慮しきれていない、という問題がある。その結果、障害の有無による〈する・してもらう〉の「非対称」性が温存されたままの、「役割の固定化」が生じる。

この「役割の固定化」を問題としたとき、展示を〈説明する側〉と〈説明される側〉が明確に区別されていない場、換言すれば、役割が固定されない場を生み出すことが、通例の「共生社会」像へのアンチ・テーゼになり得る、というわけだ。

一方で、障害の有無がもたらす、非対称性そのもの、すなわちインペアメントとしての〈できる・できない〉の差異を無視しているわけでもない。「健常者には単なる背景としてしか映らない」ピクトグラムをさりげなくポスターに加えることで、支援の用意があることを示す、という工夫がなされた。

このような手法が通用してしまうことは、共生社会が実現していないことの証左ともいえ、虚しくも思う。が、まさに今、なにか事を成そうとする時に必要なのは、理想を語るだけの机上の空論ではない。現実に即した、実効性のある施策こそが求められる。私が上田に行って目にしたのは、空疎でつまらない、お役所仕事の啓発イベントではなかった。血の通った実践による、共生社会実現の試みだった、といえよう。

ここまで、引用を交えて、本イベントに対する自分の理解を整理した。自身としては、書いてみて満足したし、ふだんから「共生社会」や「障害者」というキーワードに慣れている、たとえば福祉職だったり教育職だったり、という人には、ある程度読解してもらえるだろうとも思う。が、そうでない人に対しては、どうか。ここで終わってしまっては、イベントの趣旨に応えられていないように思う。ここからは、より私自身の経験に引きつけた、実感のある説明を試みてみる。

私は、脳性麻痺のため、幼少期より車椅子と独歩を併用してきた。今は短下肢装具を用いて、独歩のみの生活を送っている。そのため、「ニーズをあげる障害者などマイノリティ」にあたる立場でこのレポートを読んだ。一方で、非車椅子ユーザーであり、ポスターのピクトグラムに表れているような、典型的な肢体不自由者には、当てはまらない。

このような、“少数者の中の少数者”としての立場から、今回指摘された「役割の固定化」という問題を考えてみたい。ニーズの把握にあたって、健常者側がこれを積極的に発見しようとせず、当事者の発信ありきになっている、という悩みは、うなずける。

一方で、ぜいたくな悩みのようにも思う。なぜなら、これまでの人生を振り返ったとき、「私のニーズに応えるべき健常者たちマジョリティ」という認識を持って対応してくれた人は、極々少数であったためだ。小学校では、教員から“障害者は特別支援学校へ行け”と邪険に扱われ、教員がこのような態度であったから、同級生からもさんざん暴言を食らった。このような過酷さもあり、結果として特別支援学校に転校した。が、今度は、“独歩者なんだから、周りに気を遣え”と要求された。例えば、“嫌味になるから階段を使うな”とか、“校外学習に行くにあたって(私には不必要な)ヘルパーを雇え”などである。普通校で追い詰められ“障害者のための”特別支援学校に転校したにもかかわらず自身の障害を尊重されなかったことは、残念だった。その後、大学でお世話になった先生方は、貴重な例外だ。上述のように、私は障害の有無で教育の場を分離されるという経験をした。なぜ、このような扱いを受けねばならなかったのか、制度を規定する政治行政の分野に関心を寄せ、政治学科に進んだ。

私は上肢の麻痺により、人より筆記に乱れがあったり、時間がかかる。そうした私のニーズに対して、試験の時間を延ばしていただいたり、ワープロを使わせてもらった。ただ、これは私が自ら、先生に交渉し、コミュニケーションのなかで信頼を得て、実現したものだった。学校の教務課から、ニーズがあるか尋ねられたりしたことはなかった。彼らの中には、障害学生の担当者がいたのだが、交代の引継ぎが為されていなかったり、メールの返信が来なかったりと、苦労した。ここにはやはり、当事者による発信を前提とする、「役割の固定化」の弊害が表れているといえる。

就職にあたっても、自身のニーズを伝えることが課題になるだろうと考えて、障害者雇用を専門とするエージェントサービスを使いながら、身体障害の採用実績を重視し、就活をした。

そして、現職に至るが、結果として、自身のニーズを伝えられたかといえば、芳しくはない。エージェントサービスで作成した資料も、自身で作成した補足資料も、配属部署には伝わっておらず、身体的な負担が増えて転倒が頻発するなど、危険を感じる状況になった。東京都から、障害者雇用の実績を表彰されたこともある会社だが、なぜこんなことになったのか。

思うに、“身体障害”の実績が、聴覚障害で占められていたことが原因であろう。“障害の有無で配属先を決めず、会社の戦力として健常者と対等に働いている”というのが受賞理由であり、それは嘘ではない。ただ、同じ聾学校の先輩後輩が多く集まる学閥が形成され、そのコミュニティの中で助け合う風土が醸成されている、という実態がある。

その中では、日本語でも日本語手話でもなく、聾者間で伝統的に用いられる“日本手話”が用いられるため、聴者が入り込みにくい。多数の聾者に囲まれ、肢体不自由者は皆無、という職場環境にあっては、独歩できることもあいまって、上司同僚から“聴覚障害と比べれば、大したことのない障害”と困難の程度を決めつけられたように思う。たとえば、“聴覚障害では難しい、窓口業務の人員が足りない”からと、走ることを強要されたりした。これに対しては、主治医に診断書を書いてもらい、防戦したものの、“新人のくせにサボっている”という白眼視のプレッシャーからは逃れられない。精神的にも追い込まれた。

今現在は、身体的な危険からは逃れられている。キャリアパスとして想定していなかった、IT専門職への転換を行い、府中の拠点へと脱出したおかげだ。また、全社的な“ダイバーシティ&インクルージョン”施策の一環として、“障がいを理解する”企画がなされることもあるが、手話教室が盛況である。前部署にいた際、手話にも挑戦したが、左右別々の細かい動きをしなければならないのが、私には難しかった。“ダイバーシティ&インクルージョン”の下で、私のような肢体不自由者はエクスクルージョンされている。これに対抗すべく、自身でも企画を行ったのだが、手話教室ほどの反響がなく、終わってしまった。

私の障害は、麻痺のため、“聴こえない”ことと比べれば、困難が絶対的ではない。“全くできない”ことはなく、“動きが遅い”とか“乱れる”というように、より相対的である。加えて、先天性であるため、私自身が、健常な状態という“正解”を経験したことがない。こうした理由から、どうしても、伝わりやすい言語化が困難だ。こちらとしては、だからこそ“正解”を知っている健常者側からの積極的な働きかけを期待したい。だが、会社が期待するのは、CSR施策の実績としてIR資料に載せられる、いかにもな善行であり、その結果、彼らの関心はより“分かりやすい”障害の方へ向く、というジレンマがある。

今回、上田で目にした、“だれしもがいるだけでいい”という場づくりを、日常生活に取り入れるのは、なかなか難しい。これからも、肩身の狭い人生が続いていくだろう。が、ともかくもこのような実践に参加できたのは、うれしいことだった。

以上のとおり、“少数者の中の少数者”にとっては、「役割の固定化」以前に、たとえ「ニーズをあげて」も「応えるべき」と反応されない課題がある。というのが、私の実感だ。

もっとも、「少数者の中の少数者」という自身の位置付けも、絶対ではない。他の社会的属性に注目すれば、景色はまた異なる。たとえば、性自認や性的指向をテーマにすれば、私は生物的にも社会的にも男であり、異性愛者であるから、多数者の側だろう。あるいは、両親ともに本州にルーツを持つ人間であるから、エスニックな面でも然り、である。気づけていないだけで、私自身もまた、誰かに対する抑圧者として機能してしまうのだろうと思う。だけれども、せめて、そのような原罪を意識して、生きてゆきたい。